亡くなる前には何もできない。

6月のある日、母から「お医者様からあと半年と余命宣告された」と電話がありました。
もう数年、病に苦しんでいましたから、この日が来ることは覚悟していました。そして、少しでも身体が楽なように願っていましたから、ある意味、ホッとした気持ちと心の身動きが取れないような不思議な感覚。あなたが想像されるより、うんとドライでクールな母娘で、お互い泣きもせず、淡々としたものでした。

エンディングノートというと亡くなる前に書くものだと多くの方が思っていらっしゃいます。
「まだ早い」とよく言われます。
しかし、亡くなることがハッキリしてしまうと何もできません。
本人より家族ができなくなるのです。
「エンディングノートを書いて、いろいろ準備しておきましょう。」
なんて常日頃から言っている私も何もできなくなってしまいました。と言うよりしたくないのです。
何かをしたからといって、何も変わらないことは百も承知なんですけど。

実は、喪服が仕事でも使えるようなパンツスーツしか持っていなくて、知り合いのお通夜なら十分でしたが、やはり身内ともなるともう少しちゃんとしなければ、買いに行かなきゃとは思っていました。でも、買いに行きたくないのです。それで母の死期が早まるわけでないことは分かっていますが、体が動かないのです。そうこうしているうちに、9月3日の早朝、母が亡くなったと電話が掛かってきました。仕方がないので、適当に黒いセーターやパンツを詰め込んで新幹線に飛び乗り、名古屋駅前の髙島屋で買うしかないと慌てました。恥ずかしい限りです。

母は、昔から「泥縄」を嫌いました。夏休みの宿題は7月中にやれという人でしたから、当日に喪服を買おうなんていう私のことを「まったくもう・・・」と亡くなった後も怒っていたでしょうね。
結局、新幹線の中で、「そうだ!」と閃いたのが喪服のレンタル。葬儀会館のHPをチェックしたら、ありました。バッグやパールのネックレスとイヤリングもついて税込み7,560円。まあまあのデザインです。いつも通りの適当な帳尻あわせ。「ほんとにもう・・・」と母は呆れていたことでしょう。

こんなことでも問題はないかもしれません。だけど、もうちょっとちゃんとしてあげたかった・・・
きっと、いろいろ探して気に入った喪服を着ていれば、「あら、素敵ね。」と喜んでくれたことでしょう。
後悔というほどではありませんが、正直、そんなふうに思っています。

準備しておくことは、まだまだ元気なうちに。
母のことがあってつくづくそう思います。
私たちはいつ亡くなるかわからないのですから。

毎月1回、【エンディングノートから始まる“未来設計図”の会】を開いています。
エンディングノートは、残された家族が助かることもありますが、それ以上にこれからの人生に対する気持ちが変わります。なんだか楽しみになってくるのです。
未来に不安どころか怖いモノがなくなるのです。「矢でも鉄砲でも持って来い!」と腹が据わります。
ぜひそんな感覚を体験してみて下さい。
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